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Magnificent 700: Hank, Babe, Barry!
昨日、San Francisco GiantsのBarry Bondsが通算700号本塁打を
達成しました。(今日も701号を打った)
Bondsは1986年Pittsburgh Piratesでデビュー。
Pittsburghで7シーズンを過ごしたあと
FAでSan Francisco Giantsへ移籍しました。
移籍の際、それまでPittsburghで付けていた背番号
"24"をSan Franciscoでも要求。
しかしSan Franciscoの"24"はWillie Maysが付けていた
番号で当然Giantsの永久欠番なんです。
Bondsの名付け親でもあるMaysはこれを承諾
(Bondsの父BobbyはMaysと同年代にチームメイトだった)
しかし、父Bobbyと地元ファンの猛反対によって
結局は父の背番号"25"で落ち着いた。
Pittsburgh時代の彼は俊足、強打の選手ではあったのですが
現在のHRバッターのイメージではなく
毎年30:30を狙える選手・・・そんなイメージでした。
実際にPittsburgh時代の彼は1度も40HRを打った事がなく
最高の数字が1992年の34HRだったんです。
翌年、San Franciscoでいきなり40HRを超え
移籍4年目の1996年史上2人目の40:40(40本塁打、40盗塁)を達成し驚かされました。
そして2000年に自身最多の49HRを打った翌年
絶対に破られるはずもなかった
Mark McGwireの1シーズン最多本塁打記録70本を
あっさり73本打って更新したのです。
それでもボクの彼に対する印象はHRバッターに対する
それとは違います。
バッティング・プラクティスを見るためにゲートオープン前から
球場に行きたい!と思うような選手じゃないんです。
しかし現実に"700"という数字はビックリーグにデビューして
20年間現役を続け、毎年35HR打たないと届かない
途方もない数字である事も事実です。
Babe Ruthと肩を並べるまであと14本。
通算本塁打数の記録保持者Hank Aaronの755まであと54本。
いったいどこまで記録を伸ばせるのか...
とにかく"偉大なプレーヤー"である事は間違いなさそうです。

達成しました。(今日も701号を打った)
Bondsは1986年Pittsburgh Piratesでデビュー。
Pittsburghで7シーズンを過ごしたあと
FAでSan Francisco Giantsへ移籍しました。
移籍の際、それまでPittsburghで付けていた背番号
"24"をSan Franciscoでも要求。
しかしSan Franciscoの"24"はWillie Maysが付けていた
番号で当然Giantsの永久欠番なんです。
Bondsの名付け親でもあるMaysはこれを承諾
(Bondsの父BobbyはMaysと同年代にチームメイトだった)
しかし、父Bobbyと地元ファンの猛反対によって
結局は父の背番号"25"で落ち着いた。
Pittsburgh時代の彼は俊足、強打の選手ではあったのですが
現在のHRバッターのイメージではなく
毎年30:30を狙える選手・・・そんなイメージでした。
実際にPittsburgh時代の彼は1度も40HRを打った事がなく
最高の数字が1992年の34HRだったんです。
翌年、San Franciscoでいきなり40HRを超え
移籍4年目の1996年史上2人目の40:40(40本塁打、40盗塁)を達成し驚かされました。
そして2000年に自身最多の49HRを打った翌年
絶対に破られるはずもなかった
Mark McGwireの1シーズン最多本塁打記録70本を
あっさり73本打って更新したのです。
それでもボクの彼に対する印象はHRバッターに対する
それとは違います。
バッティング・プラクティスを見るためにゲートオープン前から
球場に行きたい!と思うような選手じゃないんです。
しかし現実に"700"という数字はビックリーグにデビューして
20年間現役を続け、毎年35HR打たないと届かない
途方もない数字である事も事実です。
Babe Ruthと肩を並べるまであと14本。
通算本塁打数の記録保持者Hank Aaronの755まであと54本。
いったいどこまで記録を伸ばせるのか...
とにかく"偉大なプレーヤー"である事は間違いなさそうです。
